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Tag Archives: 雑記

うちのマンションはそれなりに堅い作りだが昨日から揺れを感じる事が多い。

一昨日の夜は近所で硫化水素自殺があって、大豆戸の交差点先の綱島街道が封鎖されていた。いろいろと大変な今日この頃。

ボクササイズに使用するパンチングボールに血の涙を流す顔の絵を描いて、ヘッドフォンをつけてあげると何かしらかわいそうなことになった。まるで生首。

こういう、生首として生きる民族は、生まれながらに生首ではなく、きっとこういう悲しい生態を経て生首になるのだ。

さあ、病院に行こうか。

ニコニコ動画が見れない人には申し訳ありませんが、この人の作る不思議な動画が好きすぎて困る。

http://www.nicovideo.jp/tag/%E9%95%B7%E7%B4%B0P

本家のキャラクターが何であるかを知らなくても、動画のインパクトだけで何か来る。

あるいはめぼら。今回もきっとヤン様にしか通じない話題なんでしょう。左の上瞼が膿んで目が開きません。人生初かも。一週間待っても治らないので病院に行ったら飲み薬を処方された。塗り薬ではなかったのが意外。

近所のドンキに財布だけ持って特売のビールを買いに行ったところ、身分証明書を要求された。そんなものが要ると思わなかったので持っていなかった。

20歳代のみ提示が必要とレジに記されていたので、31歳であることを根拠に静かにゴリ押ししたところ、クレーマー対応らしい担当が現れ、よく万引きGメン番組で見るようなオフィスに呼ばれた。

店舗の提示した規則に従って行動している事を述べたものの完全に嘘をついていると思い込まれ埒があかなかったので、流石に腹が立ち、財布を置いて家に帰り運転免許を持って行き、嘘をついていないことを証明した。

謝られるかと思いきや捨て台詞を吐かれて更に気分を害した。

「初めからそうしてくれたらいいんすよ、あんたが30とか言って信じろって言う方に無理がある」

何だそれは?

ただ、切れたら相手と同レベルになってしまうので黙っていた。

前に向いて走れと言われても、戦況は思わしくない。

下を向けば地雷原、そうかと言って下ばかり見て走ると首吊りトラップに捕まるのだ。ちょうどこんな感じで罠がぶら下がっている。

人は自分の負うべき責任のみを負い、他人の責任まで負うことはないということを自己責任の原則と呼ぶ。対応する権限のない事や、自分の力や作業範囲では対処しようのない事の結果にまで責任を負えというのは暴論だと思う。力で抑えて命じたとしても出来ないものは出来ない。

世間に照らしてみて、そんなに暴利を要求しているわけでもないのだけれど、こういう疑問を持っていることからして、きっとここに来てはいけなかったんだろう。

今日は、すぐに腹一杯飯を食いたくなったり酒を呑みたくなったりする自分がたまらなく厭だ。

禁煙はそれなりに続いているのに、たかが一週間すら断酒できないなんて。ただ今週はまだ店で飲み食いしていないのは唯一の救いではある。

息をするように自分に嘘をつけるなら、そんな事は簡単なのだろうに。給与の見返りの少ない会社に盲従する時にはそれができても、飲食では難しい。同じ欲でも睡眠欲や性欲は抑制出来るのに。

そもそも本当に我慢しなければならないのかどうかはさておき、自らを過剰に律したいのは返す返す理不尽だ。悪い事をしている気分に意味もなく悩まされるくらいなら、本当に悪い事がしたい。

これは、なんですか。

たまには極端に後ろ向きにならないと身が持たない。混雑にキレるなら終電なんかに乗るなと言いたいが黙っておく。

機会があったのに行動しなかったのは愚かだった。

選ばせてもらえる立場にあったのに悪い方を選んだのは愚かだった。

日々の欲にかまけて長い見通しを持てなかったのは愚かだった。

かつてはあったそれを失ってから無い物ねだりするのは愚かだった。

ミーイズムと収奪と欺瞞と偽善にあふれた組織に疑念も持たずに奉仕したことは愚かだった。

評価は対価に化けなければ後々に残らないと知らなかったのは愚かだった。

僕はあまりに愚かなので、これの、あれの、そしてそれの、いずれの始まりにも終わりにも気付かない。

同じ感覚の先達に、それはいつ頃からだったか聞いてみたい。夜の数は昼よりも一つ多かったのかとか、聞きたい人にはもう聞けない。

拠無き事情で人生初のXS書き。

入力にSV*一つ、出力にHV*一つ、中身は少々長いCの文字列処理とhv_storeのみ。

こういう単純なのでも、バイナリ配布で5.6と5.8の両方に対応させるなら、両方の環境でコンパイルしてパッケージ作るしかないのだろうか?

面倒。

今日は目が眩み人に酔う。

六本木の雑踏の中、ナイジェリア人と思しき客引きに多分 "Why don't you see all that girls?" 等と話しかけられたが、訛りがひどくて「猥談しようぜぁ!」にしか聞こえなかった。

疲れているのだろうか。

昨日は朝起きたら喉が少々痛み、マスクを着用する事にした。

今日はなるべく話したくないと無言のうちに示すために、太いマーカーでマスクに×印を描いた。

シンナー臭で余計に調子が悪化した。

土日二日にわたるお別れ会は狂宴にならない程度の饗宴で、誰にとっても気持ちよかったのではと思う。

例えば旧校舎での最後の同窓会みたいなものと考えれば、関東から馳せ参じるのもそれほど常識はずれでもなかった。土日に会った一番上と下との年齢差は22、もうすぐ人間一世代が回る。

それはさておき、日曜くらいから唇の左右、今日には全体がぴりぴりとめっちゃ痛いんですがこれはやっぱりあれですか。

笑うほど世界の株が暴落して、債権保証機関自身の格付けも下がり、250兆円の債権の信用が下がり値が付かなくなったとか、ワールドビジネスサテライトのアナウンサーが本番中にNASDAQの初値暴落を見て涙目だったとか。色々大変過ぎて、何をどうするのが良いのかという価値観を論じるのすら馬鹿馬鹿しい。

ちょっと前まで真面目に働くのは馬鹿で、レバレッジの力学に基づく投資やデリバティブで上前を撥ねるのが賢い大人の生き方だと言われていたが、今や彼らは例えば太陽系の成立過程を計算している理論天文学者が手近な現金収入源を全く持たない事を馬鹿にする事すら出来まい。それどころか、飲んだくれて保育園のエレベーターで眠り警察を呼ばれる人も、この寒空の下公園のベンチで乳首を吸わせたり吸ったりしている若いカップルも、何も出来なくて凍え死にゆく人達も、何なら泥棒や人殺しも、全て正しく、全て間違ってもいるとしても否定はできないだろう。何をすることも正しく、何をすることも間違っている。

僕は勝負の資格すらないからか心安らかで、今週まず確実なのは三条コウシンに行ける最後の機会だから、あそこで狂ったみんなと一緒に、取り返しのつかない事がしたい。少なくとも大きく間違ってはいないんじゃないだろうか。

僕が最後にPCを買ったのは2002年。

この業界にありながらそれ以来6年間全く新しいものを買っていないのですが、さすがにそろそろ新調しなければ、新しく何かソフトを買っても動かないという事も出てきました。

長年と言っていいくらいメインPCとして使ってきたこのマシンですが、この画面を人に見せる度に色々と突っ込まれます。

そうカスタマイズしているわけでもないのに。

あけましておめでとうございます。得体の知れない紙(写真)がポストに入っていると思ったら、今年から水道料金の紙の個人情報保護の目的でラミネートされたそうです。ここはどれだけ治安の悪い国ですか。今年は一日から五日にかけておくゆかしく賀状をしたためました。まだ届いていない方もあるかと思います。年開けから相変わらず申し訳ありませんがよろしくお願いします。

今年は全てにおいてなにもかも中途半端で遅すぎた一年だった。

来年は気をつけよう。

多分元旦から何かありそうだけど。

某日某時刻に、某所の某施設に数回も乗り換えて向かった。何度行っても見当識を失う苦手な町並みを歩き、予定より若干遅れて到着。某用途向けの某案件に立ち会った。

今回に関しては自分はあまり関係なかったが、某社の現場の方々の気迫は自分の仕事の糧にすべきと感じた。

祖父は酸っぱいからという理由で苺が嫌いだった。

苺を見ると、食欲と性欲の区別がつかない人を想起させられる。女子限定。多くの男子は自分で苺と名乗ったりしない。自分を苺に擬える人は、苺の赤い部分は果実ではなくて、表面に散らされた小さな種を食べさせるための囮である事に気付いているのだろうか。


玉葱4個とニンニク3片、塩とナツメグとセージで揉んでおいた鶏肉300gをオリーブオイルでよく炒め、白菜4分の1を加えて蒸し焼きした後で、ブイヨン500cc、エリンギ・マイタケ各1パック、白葱1本、タイム、オレガノ、ローズマリーを投入。数十分煮込み白菜が溶けた後で塩、黒胡椒、カイエンペッパーで味を整えた。

せっかく平日にしては真面目に夕食を作ったのに、米を炊き忘れていて、仕方なくこれをうどんにかけて食す。一気に謎料理。

今日は緑黄色野菜を追加しようと思う。

今日も中二病。

一昨日チャイナさんとヴォァアアァァの人と話していて思ったのだが、病気の類が寛解し、言動を改められたとしても、その後一年や二年の禊ぎでは上の方々には許してもらえないであろう気がしてきた。良くて緩慢な死亡フラグか。面と向かって反逆的なわけではないが、本来期待されるよりも生産性が低いだけでも間接的な裏切りではある。累積した結果は消せない。切り詰めても食べるので精一杯で、ボーナスで貯金するしかない感じ。でも、12四半期の在籍で8段階も昇らせてもらっているんだから御の字なのだ。今の環境に自分を置き続けるならこの辺が平衡なのかも知れない。

身内でも2chなんかを見ても「俺は世間に何も求めない代わりに世間にも何も期待しない。どこにも参加したくない。望んで生まれたわけでもない。さあ俺を殺せ」と言っている人が多いという話をした。世間にも身の回りにも信用できる人がいなければそりゃそうかとも思う。何のために生きてるのかなんて誰にもわからないし。しかし食べていくのに精一杯というのは不健全な話だ。例えば何かがあって突然死んでしまったとしたら会社から2500万の弔慰金が下りる。しかしよく考えたら今のペースだと一生必死で働いてもそんな額の貯金は出来そうにはない。個人で掛けている生命保険も考えると、一番たくさんの金銭の蓄えを遺す手段は何かあって死んでしまう事なんだよな。会社では最近誰にでも出来る駒の業務しかしていないので迷惑にもならないだろう。

生きていたらそれだけのために多くを消費する。誰かが起こした事故の被害者になれば賠償で更にドラが乗ってくる。拝金主義に毒されたら人生の価値なんてそんなもんだ。そういう愚かな考えを打ち消すためにも、守るべき誰かがいて自分にしか出来ない事で真価を問う事が必要なんだと思う。ならどうすればいいのかなんて初めからわかっているじゃないか。

What was I? It was up to you.

What was I? It was up to you.

帰り道、頭の中でこのフレーズがリフレインを作って流れて、3弦開放をペダルに4弦が移動するディストーションギターが流れ込んできて、Sonic Youth の Tunic (Song for Caren)を更にペシミスティックにした、少し Joe Satriani の I am become death のような音階がただBPM130前後の8分音符で刻まれた。

G – G – G – G – G – G – G – G –

A – G – F#- G – Eb- Eb- D – F-D

コードで言うとこんな感じか。

Gmadd9 Gm Cm(#11) Cm Eb(#11) EbM7 Gm Gm7

ここ2週間ほど体調が悪く、少し油断すると6年前に患った顔面神経麻痺が再発しそうな雰囲気。勤務制限と薬で抑えてはいるけれど。だから最近あまりちゃんと声が出なかったり、まともなギターが弾けなかったりするのだろうか。望むには幼い時には有り余っていたのに望む頃にはいざ知らず。

でも仕方ない。どんな人生を望んでどんな無謀な努力をしていたとしても、そんなことは誰にとってもどうでもいい事だろう。今自分以外の誰かに見える結果が全てなのだから、見えていないところは全部どこかにしまっておいて、exist と be と realize が同格だと宣言して、たゆたってみようかと思った。誰かがそう思うんだったらそうなのだ。過去にそうであったと決めるのは他人の多くで、評価は委ねるしかない。それが集合知であり、衆愚であり、運命なのかもしれない。

よくわからないけれど、降ってきたものは有効に使おうと思うのでメモ。

中二病である。

星里もちるのいうところの「いいかげんだけど責任感が強い」と評価される事に憧れて育ったけれど、いつの頃か成果よりも形式を重んじる企業はそう言う人間を必要としていないことに気付いた。

自分が約束の時刻が守れないのは昔から嫌いだ。さすがに仕事に穴は開けないが、遊びや飲みの約束はしばしば反古にする。努力の形として徹夜して翌朝に備えても、そういう時に限り数分遅れてしまったりする。呆れる他ない。

自己嫌悪しても仕方ないが、少なくとも鉄道会社のような定時性が優先される仕事には全く向いていないと思う。体調を崩す事も多いし。だから時間を切り売りするのではなく成果主義を謳う会社を選んだはずなのだけれど、3年前の自分は多分眼が悪かったのだろう。そんな事は本質じゃなかった。

よく考えたら、大企業の主目的は株主に配当することだ。一般顧客から利益を計上する本業の部分は手段にしか過ぎない。そして寡占市場で絶対的優位を押さえているのなら、手段にコストはかけず、問題さえ起こさねばよい。手順が正しければよい。

揚げ足を取らせたら負けなのだ。愚直に言うなら、ある期間で回すべき歯車をさっさと大量に回してたまに手を抜くようなむらがあるタイプではなく、周りが回すのに合わせて手を沿えている方が望ましい。成果主義とは何かを成し遂げた者に報いる制度ではなく、出る杭や落ちこぼれをデモートし振るい落とす制度である。

そういえば、今も昔も政治家や投資家が学び振りかざすのは帝王学でありレバレッジの経済学であり、支配階級の論理。経営者はその従順なる僕、労働者はさらなる僕。現場は目の前のお客様に良いサービスをと考えても、僕である以上は上の方針が優先してしまう。

営利企業に勤める意味とは何なのだろう。判っている。自分に何が出来るのかを考えている時点で負けなのだ。自分はどれだけの数の誰を使役することで何をさせられるかを考えるべきだったんだ。

少し疲れた。

以前は何とも感じなかった曲、例えば「キミは何テラバイト?」を聞いて涙が出る事がある。

信じるところをただ一つ選べて、ただそこに全力で走って行っていたら、そんなところに感傷的になる必要もなかったのかも知れない。

右眼だけが渇くのは悪い徴候だから、またゾビラックスとアデフォスとメチコバール。

夜行バスが消灯したからと言って、酒もなしでこんな時間に眠れるわけがない。

リクライニングシートでは違和感が右側、顎、肩、脚の付け根、膝、くるぶしに。右半身のこれらの関節が全部脱臼しているような、緩んでいるような感じがして気持ちが悪い。可動範囲が変だ。

あまりにすごいので写真を撮ってしまった。なんだろう、この新しい概念提示は?ガスマスク萌え?覆面好き?今の僕にはどこに魅力を感じればよいのか全くわかりません。詳しい方、解説をお願いします。

2時半過ぎに会社を出て、タクシーで外苑西通り、中原街道、綱島街道と一時間半かけて帰宅。

寝る準備をしていたらいつの間にか4時半だ。3時までは勤務しなかったから明日も朝9時には行かないと遅刻になってしまう。昔は白金にいたのに、横浜から六本木は遠い。

それにしても久々にこの時間までぶっ通しで働くとものすごく体調が悪い。昼も夜も食べそこねたからか。流れる風景の何を見ても気持ち悪い。

今夜はもう何をするのも面倒臭いから、書きたい事は明日に回そう。明日、そのまま何気なく目が覚めるといいな。

NHKスペシャルで中国の都市部と農村部で格差が世代を超えて再生産され続けているとのルポルタージュがあった。

ある中国共産党幹部の息子は何不自由なく育ち、一流大学を出て20代半ばで会社を興し、親のコネで仕事を回してもらい会社は成長し、30歳を前にして不動産バブルに沸く天津で何億円もするマンションを買っては転がし年に5億円のアブク銭を手にする。彼の大学の同窓生の間ではこの生活は珍しくもない。

方や内モンゴルの平均的な農民は氷点下20度の冬に7歳の息子の靴の底が抜けても、150円で新しい靴を買ってはあげられない。農村には現金収入がなく多くは農地を捨て、子供を学校に預けて都市に出稼ぎに出て日雇いで死ぬ程働くが、それでも年収は10万円程度。残された子供達は、親にこれ以上苦労をかけないために運命を変えるには大学に行き知識や技術を得るしかない、と文字通り血の涙を流して勉強する。しかし、高校に通わせる時点で学費は出稼ぎ農民の年収の半分を超える。出稼ぎも競争率が高くなり続け、仕事がない日も多い。

こういった何一つ救われない番組だったが、先日経済面の隅に落ちていた経団連の発言が、これと絡んでいる気がしてならない。

いわく「企業の研修生制度で日本に来た外国人は、継続雇用を条件に8年まで在留可能とすべき」。経団連配下の企業の所謂外国人研修生がどのようなものかは公然の秘密であり、そこに求められる人材が先の出稼ぎ農民とかぶる。工場のラインの苛酷な環境で働いている期間工には、日本人を雇うなら周辺の水準より高い給与を払わねばならない。しかし研修名目で連れて来た外国人ならどれだけ買い叩いても文句は言われない。連れて来られた海外の貧困層にとっては、明日の仕事の有無を心配せずともよく、日本の水準よりは安くとも故郷では考えられない程の安定収入を仕送り出来る魅力がある。何より彼らには異国の地に逃げ場もなければ、そもそも一所懸命で逃げる気もない。

仕事をより好む自由があると勘違いしている日本人は既に淘汰され始めている。しかし、使い捨ての都合のよい労働力と扱われるのには替わりはない。都合のよい労働力と言えば、最近ますます派遣社員や契約社員の買い叩かれが激しくなっている気がする。20~30代の女性で非正規雇用の方に、フルタイムで朝から働いているのに、居酒屋やバーやスナックや、果ては風俗で夜から深夜、あるいは休日に働いている人が身の回りにあまりにも多い。いわゆる優良企業だったり子供に夢を与える企業だったりするのに、働いている本人は無駄遣いもしていないのに、一つの仕事では暮らせない。

競争原理を持ち出して自助努力の不足と言うのは簡単だけれど、そもそも全体の平均生活水準を下げ過ぎではないだろうか。圧倒的多数の貧困層が、好む好まざるに関わらず極限の効率で働く。生きてるうちに働けるだけマシと、外国人に追い立てられる危機感の醸成。見方によっては先の報道は両方プロパガンダだ。なし崩しに企業の正社員や公務員の給料も下がり続ける。痛みに耐えて国際競争力を確保するという錦の御旗のもとに。でもどこを正面に据えた何の競争かは言わない。

これはうまく出来た奴隷制度ですね。もはや詰め将棋のように。でも、僕自身、社会の心配をしている場合ではない。せめて自分とその周りだけでも上を向き続けなければ溺れてしまう。必死に、もっと上へ。

■彼らの挙式

思えば僕は、恋愛沙汰のせいで音楽活動に支障を来たしたくないとか言って、頑なにバンド内やサークル内の女性とは付き合わないようにしていた。でもまあ、今となって見れば、大学のサークルやゼミで出会って結婚に至ると言うのはごく一般的な事だ。普段からずっとそばにいるから、長所も短所も全部理解して行けるのだろう。

名古屋には複雑な思い出があるけれど、今回は本当に呼んでもらえてよかった。神前式も初めてだったし、そもそも名古屋に住んでいたこともあるのに熱田神宮も初めてだった。何よりも新郎新婦、その家族親族、そして友人一同皆が幸せそうだったのが印象に残った。普通は当たり前なのかも知れないけれど、うちの親子関係に照らすとうらやましかった。心からおめでとうを言った後に少しだけそう思った。

ああやって幸せに見えるのは、新郎新婦各々が幸福の種を持っていて、二人合わさる事でそれを育てて実らせているのかな、とぼんやり思った。まず自分がそれなりに幸せでなければならない。負のオーラに沈み続けていても、多分誰も幸せにならない。

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■11年前の幻影

その結婚式の三次会に出ると横浜まで帰れないのでホテル泊した。

せっかく名古屋まで来たので何かそこでしか出来ない事をと、前夜の二次会から合流していたMに連れられ、名古屋のM人脈の方々とカラオケへ。あの名古屋系孤高のバンドのヴォーカルさんとご友人のメタラーさん、M、僕と言うのはどういうメンツなのか。とにかく、本物のヴォーカルの方を前に歌う事があるならもっと日頃から精進しとけばよかった。やっぱりただ歌うのと本物の歌い手は全然違う。身の周りでもごく一部の人がそうだけれど、何かが決定的に違う。

失礼ながら僕は音源を自分から買って聴いていたわけではなくて、11年前に関西で組んでいたバンドで相方だったギタリストが大好きだったので知った。その彼の家で掛かっていたCDから流れていた「サイレン」を、ご本人に目の前で歌っていただけるなんてあの頃の自分達に見せてやりたい。他にも、あの頃の色々な事を思い出した。

ちなみに自分のやっていたほうのバンドは自分の中では黒歴史で、手元には写真も音源も一切残していない。参加して半年の間に一気にバンドが大きくなり、その過程で大変に揉めて流血沙汰になったり、果ては関係者の恐ろしい部分を眺める事にもなった。参加していた事実も否定していたくらいだった。

でも、僕はやっぱりその時やっていた事も好きだったんだろう。歌が、音楽が好きだったんだろう。理屈が通じなかったり、我が強い人が多かったりしたけれど、だから僕も音楽に倒れ込んでいたんじゃないか。

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数年も会わなければ人は変わる。しかし、やっぱり人の基本となる部分までは大きくは変わらないのか。たった二日間だけど何日分もたくさんの事を思い出し、何日分も何年分も考えた。結婚式でお会いした方々、月曜日にご一緒してくださった御三方、ありがとうございました。

アスファルト人格形成!自己否定の声!

と歌っていたバンドが好きだったのはもう16年も前の事だ。

翻って今現在自己否定する理由は何だろう。

何年か前にも、俺や周りはお前を認めてるのにお前自身が認めなくてどうする?と、数少ない親友の一人に諭されたのを覚えている。自分が嫌いな自分を人に好いてもらおうとするのは身勝手だ。それもわかっているはずなのだけれど。

なぜか、何か自分がやりたければやりたいと思うほど、誰に止められているわけでもないのに、それはやってはならない事なのではないかと思えてくる。楽しみだった旧友に会うために家を出る時など、楽しみなのに自己否定が発動して出発が遅れ、結局は充分な時間を過ごせずに終わり、やり場のない情けなさと怒りが残る。

会社で業績を褒められても、まだもっと貢献しなければならないはずだとか、自分みたいな人間が重用されているレベルでは競合に勝てるはずもないからもっと全体を底上げしなければならない、などと答えてしまう。

誰かに褒められた時に、自分はそんな風に褒められるに値しないのになぜ褒めるのだろう、どういう理由があるのだろうと考えてしまう。失敗を赦してくれると言われた時に、本当は怒っているのを我慢しているならはっきり言ってほしいなどと繰り返し、結果本当に怒らせてしまう。自己否定の結果、自分を評価してくれた相手をも否定する。

なんて嫌な奴だ。

自信過剰だと思われたくない。口先だけの人間だと思われたくない。だから結果として嘘になる約束はできない。必ず実現すると決意していても「100%実現できる証拠を提示できるのか」と自問自答してしまい「可能な限り努力する」としか言えない。無責任にしか聞こえない。

これで大切な人を幾人も苛立たせたり怒らせたり悲しませたりしていることに、なぜかその瞬間は気付いていない。誰の得にもならないと思う。この強烈な自己否定は何だろう。

頭の中で止まない自己否定の声を消したい。どこを打ち破れば変わるのか。例えば明日のライブでこのわけのわからない感情をギターにでも叩きつけてみようか。無理矢理にでも人前で偉そうにしてみれば、何か変えられるだろうか。そこだけでも認められるだろうか。

先日、来年の11月で弟が望んで魔法使いになると知る。彼は既に浮世の全てに対する関わりから一段身を退いているので、恐らく恙無く実現出来るだろう。確固たる信念を持ち続けられる事はその内容のに係わらず素晴らしい事だと思う。僕には真似できない。

そのくらいの信念を持ち続けて努力し続ければ、僕にとっては都市伝説でしかない、人間的な範囲で普通に働けば安定した充分な収入が得られる生活に辿り着けたりするのだろうか。

僕は何かやりたいと思う事やほしいと思う物が出来た時、その気持ちが強いほど、それはやってはいけない事ではないか、手に入れてはならない物ではないか、これは悪い欲求なのではないかという自己嫌悪のような物に苛まれる。誰も駄目だと言っていないのに。周りの人には迷惑でしょうがないだろうが、よほど強く肯定してもらえないと先に踏み出せていない。

気付いてはいたけれど、ここ数日で再認識した。なぜこんなに朝から気分が優れないのか。自信がない。とにかく何もかも全然足りない。届かないかも知れない。

入社して初めて、所用で午後半休を取り、14時過ぎに退勤した。

普段はこれからまだ6時間か8時間くらいは会社にいるわけで、残業が無い分午後半休の方が得であるように思う。

しかし明るい時間に帰る事には鋭い違和感を感じる。毎日8時に起きて9時に家を出、23~25時に帰宅して26~28時に寝る。例えば20時に帰宅する生活なら、24時に寝るにしても毎日2~3時間は自由な時間ができる。年に換算すると500~700時間くらいか。

昔はもっとひどかったし、少なくともこんな生活を6年以上は続けているのだから3000~5000時間が仕事に消えたわけだ。周囲の人との営みや関わり、自己研鑽や鍛練、趣味の時間、休息。そういったものを全部投げ捨てたつもりで必死で働いているつもりになって、結局僕は会社を通してお客様や社会に何を寄与して、その対価として何を得たんだろう。

先週辺りから夏風邪をひいてしまったようだ。鼻水とくしゃみが続き息苦しい。午前中には腹痛もある。ホワイトボードに「Hook2」と書いておいたが誰にも何も伝わらなかった。

気温も湿度も高く、会社の冷房も効いていないので、熱があるのかどうかもよくわからない。鼻の中に異物感がある。右から左に棒が刺さっている感じ。

眠りが浅いから抵抗力が落ちていそうな予感。かと言って、食事制限は解除したくない。堂々巡り。

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