始発で帰宅。
これから荷造りをして出張。
米国西海岸にて、あるサミットに出席。
日々学びの場が提供されるのは幸せなことである。
始発で帰宅。
これから荷造りをして出張。
米国西海岸にて、あるサミットに出席。
日々学びの場が提供されるのは幸せなことである。
元旦から史上稀に見る事故発生。自分自身は風邪で寝ていて終わるまで気づかなかった。ポケットに入れた携帯にメール400通と着信35回あったのに気づかないというのは、いかがなものだろうか。
夕方、後始末だけやらせてもらった。格好つけて抱負を語っても結局こうなってしまうのかと思った年明け。
自分に払われる単価が安いと感じて、大量の業務を引き受けたとする。
それが人より短い時間でこなせるなら良いが、残業をしてやっと片付けられている状況だと、却って能力が低いとみなされはしないか。
29歳理系国立大学部卒男性と言う条件で一部上場企業平均からの年収偏差値を調べたら、33.4 だった。会社四季報に載っている平均で計算すると65程度の偏差値だから、僕に対する人事の評価が言わずと知れる。
2日連続タクシー帰り。
経費のかかり過ぎる社員。
そりゃ、たまには自腹も切るが。
金曜日の仕込みが上々だったようでこの週末は目立ったトラブルはなく、土曜の夜は大学の同期のユニットのライブを見に行く程の余裕もあった。
でもやはり何かは起きるようで、日曜の夜25時にサーバダウンの連絡、復旧が終わって状況報告を書いて関連部署に連絡メールを出したら27時=午前3時。また月曜日から眠いという悪循環。
土曜日朝3時半にタクシーで帰ったがクレジットカードが使えず現金で払う羽目になり、起きたら20時半で出社できず。
しかしそんな夜もトラブルは発生し、23時半から26時にかけて自宅で仕事。
次の日も起きたら16時になってしまいそれから出社して例のごとくトラブル対応し、26時に退社。
翌朝は8時半に出社し、さっき24時に帰宅。
悲しい電話を受けたけれどでもそれも仕方のないことだし、現に手を伸ばしても今すぐつかめるわけでもないし、世間が休みで楽しそうだったのは窓の外の話で、僕は雨も降らず同じ温度の部屋で砂を積み上げ続けるばかりで。
きっと砂の塔を固めるのはとても難しいことなんだけれど、僕はその方法を知っているのか知らないのか自分でわからないまま塔を高く保とうとしている。義務を果たす前には権利を謳う資格はないし、責任を果たせていない自分のことなんて今はどうでも良い。
期限内に求められたクオリティで義務を果たすことすら出来ない自分が嫌い。向上心はあるはずなのだから、もっと自分を鍛え、いじめ抜いて能力を叩き上げることが必要だと感じる。
土曜日20時出社、日曜日16時半退社。
日曜日22時出社に若干遅刻。月曜日25時退社。
火曜日14時出社。会社泊にて一睡もせず。
水曜日そのまま業務。午前5時半に若干片付き、今帰宅。
風呂だけ入って着替え、木曜9時にはまた出社。
それなりに寝なくてももつことがわかる。
三連休を全部使えると当てにしていたけれど、初日に深夜に病院に急行する羽目になり全部予定が狂った。もう少し身体が強くないと本当に駄目だ。一応無駄な努力はしてみるけれど、これでさらに悪化する結果にならなければ良いんだが。タイムリミットは近い。
多分これから10月頭までが仕事の面では今年の正念場なのだろう。
明日の午後4時までにやらなければならないこと、翌日中にやらなければならないこと、いずれもクリティカルな締め切りを持ち、しかもそれをやらなければ周囲に著しく迷惑がかかる。
頼むから何もこれ以上降って来るな。徹夜しても食い切れない。
今週2回会社に泊まって、1回休出して、1回倒れて午前半休。何て能率が悪いんだ。この程度なら、普通の人なら毎日平均的に時間を割り振って適当にやっていけるんじゃないのかな。好きな飲み会も断り続け、とにかく働いてないと許されない、という気分。
確かに仕事は滞っている。紛れもなく。これは単に要領が悪いのか、もはや自分のこなせる仕事の
9月に入って2日代休の後2連続遅刻。明日こそはまともに出勤しよう。
0時14分職場発の電車に乗って帰って、ちょっと片づけをするともうこの時間。期末進行は毎回こうだ。もう少し線表通りに作業できないものか。
収入の話をされると毎年耳が痛いけれど、食うに困らず暮らせているし、酒を減らせばすぐに貯金もできるのだ。定年を過ぎて生きている自分の姿は想像できないけれど、少しくらい将来のことも考えた方がいいように思う。
人一倍劣等感が強いので、どの方面でも誰よりも優れていないと自分を認めるわけにはゆかない。しかし実際には誰にも何も敵ってすらいなくて自分でやる気を削いでしまっている。
新たな知識を得たり、初めての経験が出来たり、自分の伸び代を評価してもらえる機会があることは幸せなことだ。走って行く先が見えなくとも、足元に地面があるのは幸せなことだ。
たまには積極的に人に評価されるための努力をしてみようと思う。いわゆる型にはまり、同じ規格の中でどれほど優秀であるかを競ってみるのも悪くないのではないか。既存の概念を超えた発展は、いつも既存の概念を完全に網羅した末に生まれるものだし、出口がないという言葉は、全ての外壁を破る努力の後に口にすべきものだ。
来週は米国。
どこの会社に行っても締め切り前後は忙しい。自分が要領が悪いのか、アクシデントが多発したからかは知らないけれど、夜10時にすぐ直るかと頼まれた仕事があったりして、初の深夜作業になった。結局ちゃんとは終わらなくて5月2日に続きの作業をすることになってしまったけれど。
けやき坂あたりのベンチで東京タワーの向こうに昇る朝日を見ながらぼんやり考える。
やる気はあるんだけれど、こんなことを繰り返していたらどこに行っても成功しないんだろうな。要領が悪すぎる。
2月に会社で受けた TOEIC の結果が帰ってきた。スコア695。
微妙な点数だ。前に受けた8年前と比べると50点近く落ちているので気分は良くない。
会社では、次の TOEIC までに英会話学校に通って 50 点以上成績が上がればスクール代の補助が出る。かといって、次に確実に50点以上上積みできると言える点数でもない。
実際毎日英語を読んだり、週2回英語会議があったりという暮らしなんだから、800くらいはないと実用上ダメなんだろうけれど。そんなことはわかってるのに今日も無駄なものを3000円分買って、騙されて散財。いい加減にしなければ。
水・木・金と仕事で失敗ばかり。
鬱期は何をやっても時間がかかるばかりで生産的なことに手が付かない。
今期の目標が達成できるのか出来ないのかとか来週発表する資料のレジュメ作らなきゃだとか、あああ。
3年越しに引き受けてた例の件も22日までに仕上げなければならないし、どうにかならないものか。
春が来て新しい季節になって、周りの人はその先に歩き続けて、自分だけ足踏みをしているわけにはいかなくて、何か知らないけれど走り続けていなければいけないと言う気になって、そうやって追い立てられている気になって、気が付くと数時間が盗まれている。
毎日にたくさん何かを詰め込んだ生活が出来る人が羨ましい。疲れを残すだけの空っぽの生活だと空しいばかりだ。
転職するたびに年下の上司や先輩が増える。
今日、二つ年下の四年先輩の父上が亡くなった。仕事の問題はさて置き、去年の友人の件もあり、僕もそういう歳になったのか、とまた思わされた。
今まで両親に対して何も孝行らしきことが出来ていないし、安心感や名誉を見せることなどもってのほか、労うことすら当分出来そうに無い。格言に言われたのはその通りだと思う。
けれど、滅私奉公する前に、今年はまず自分が自分であることの意味を思い出したい。そんなことはハタチ前にやっておけばいいんだけれど、10年遅れてもスタートしないよりはマシだと思う。
入社一ヶ月を目前にして早くも遅刻。
昨夜の地震で目が冴えたのに無理やり二度寝したのが失敗だった。
給料って、どこにアピールすれば上がるんだろうか。
数年ぶりの早起きを続けていて眠いけれど、何とか少しずつなじんでいる模様。
再来週には早くも後輩が入ってくるようで、この動きの早さにはまだ慣れていない。
明日は自分の歓迎会だけれど、どうやらうちの事業部は朝までコースでワインをデキャンタで一気したりするらしい。大丈夫なんだろうか。最近6時か7時に起きて1時に寝てるから、朝まで持つか心配だ。明後日も住宅の契約だし、先が思いやられる。
まあ何とかするしかないのだけれど。
今ひとつ現実感が欠けたまま、オリエンテーションを迎えた。
今日の同期が20人、1月だけで計60人という凄い人数と言うこともあり、滞りもなくスムースに進む。覚えなければならないこと、読まなければならない資料、受けなければならない研修等が今のところ山積みだ。
慣れた頃には、また何か新しいものが見えてくるのだろうか。
本来は11月は引継ぎをするだけのはずだったのだけれど、結局退職日まで毎日通常通り物件をやっていた。予想通りとはいえ何と言うか……スケジュール管理の概念はないのだろうか。おそらくあの会社は、今までもこれからも、必死で労働すること自体を存在意義とする以外の立ち行き方はないのではないだろうか。
例によって毎日徹夜して、文字通り本当に毎日朝日を見てから寝て9時に起きて。
仕事から解放されて、気が付いたら12月だった。11月の記憶はまるでない。
今日で28歳になる。そう言えば、27歳の誕生日も法律上はどこの会社にも所属していなかった。2年連続無職だとNETTみたいだ。自分ではそのつもりはないのだけれど。26歳の弟共々無職。両親は恐らく縁の下あたりでさめざめと泣いているんだろう。
明日はどっちだろうか。本当にあるんだろうか。無いなら無いで、せめて今を少しでも楽しませて欲しい。
眠剤を飲まなければ起きていられるとは言え、今夜も徹夜になるとまた幻覚を見ることになるのだろう。一応半分ほど仕事の目処は立ったのだけれど、また仕様変更が来るようだ。いつになったら徹夜は終わって、いつになったらまともな生活に帰れるんだろう。
顔の筋肉が痙攣しているので呂律が回らないし、そろそろ妙な感情の爆発も薬では誤魔化せなくなってきた。こんなことでは駄目だ。
こんな仕事を選んだ自分と、これほどまでにこの業務に対する能力の衰えた自分を恨む。
本来は今日で担当業務を終わらせ、書類上の退職となり、明日からは引継資料の作成を行うはずだった。
今週は無理やりにでも月末納期の仕事を終わらせなければならなかったのだけれど、社内の別の人が書いたプログラムで発生したエラーのために客先のお金絡みのデータが壊れ、急遽朝から晩まで客先事務所に常駐して復旧しなくてはならなくなった。針の筵。
おかげで自分の仕事は全くできず、この土日も徹夜作業をする羽目に。来週に入っても恐らくはしばらく終わらない。元々体調が悪いしスケジュール的に難しいと伝えていたけれど、例によって予算も納期も決まっていたから、今週は無理して徹夜してでも仕上げようと思っていた。
そもそも普通辞めることが決まった人間に新規の仕事は振らないだろうし、他人の尻拭いを必死でやった上で納期遅延を責められると本当にやる気がなくなる。自分の仕事をさせて欲しい。この体質は結局何も変わらなくて、最後までぐちゃぐちゃな状態で蹴り出される羽目になるのだろうか。
真面目に生きようとするのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
会社を辞めることになると当然引継ぎが必要になるが、そのためにまた名古屋にしばらく滞在することになりそうだ。向こうの業務が暇な時間中心になるので当然土日は無いと思われる。
残り一ヶ月を切っている場合引継ぎが最優先な時期だと思うのだが、まだ2つも進行中の物件がある。結局徹夜せざるを得ない。今の物件が落ち着いたら、という話だったのだけれど、辞めるつもりの社員に払う金は最早ないらしく、一刻も早く手続きを済ませたいのだろう。
名古屋の方針と折り合わなかったため、名古屋勤務が嫌だというのも辞めたい原因の一つでは有ったのだが、また苦難の月になりそうだ。
やっと、会社を辞める方向で話がまとまりそうだ。
仕事自体は嫌ではなかったので責任は全うしたかった。
でも辞める時に、後を全く濁さずに去ることは出来ない。どうしても、残る人には負担を強いることになる。守りたい対象が変わったからとは言え、自分の中では負け。
もう一つ、上司にも言われたが、発展的な退職ではなく、抑鬱状態になってしまって使い物にならないからと言うことで進退の話になった所も良くない。辞める理由はそこではなく、単にもっとお金が必要になったと言うだけなのだけれど。
一年持たなかったんだな。
結局誰に訊いても正解などはないんだけれど、今逃げると次に同じ状況になった時にまた逃げることになるから逃げてはならないのか。
新たな場所で自分の適性を探すことも、20代の今しか出来ないことだとは思う。
しかし最早手遅れかもしれない。
自分勝手でごめんなさい。
最近やたらと死にたいと思ったりするのは心が弱っているからなんだろう。
このままの生産性だと会社に対して迷惑ばかりかけてしまうので退職しようかと何度も考えるが、ここで辞めてしまうと次の仕事でも同じことを繰り返すだけになってしまうのではないか。だからと言って急に死んでしまっても迷惑だし、うちの会社は休職を受け入れられるような度量のある会社でもない。何とか会社に損害賠償をしなくても済むような形で決着させたいのだけれど難しそうだ。
恥を偲んで親に相談してみたら、その状況で勤め続けている方が愚かだと言われた。会社にとっても、もちろん自分にとっても良くはないことなので、一旦蹴りをつけるべきだと。このままの状態が良いとは思わないが、結局どこに行っても今より楽になることはない気がするし。
今日も何も結論は出ない。
ここ数ヶ月在宅勤務なので、毎日ある程度の量の報告書を書く必要がある。
毎日の業務後に約1時間は確保しておかなければならない。
まあそれで給料がもらえるのなら安いものなのかも知れない。
社長や役員が親しくしている会社の多くは、社員の労働効率を上げる方法は1ヶ月に1回は殴ってやることだと言ってはばからないのだから。結局どこに行ってもそうなんだろう。上流工程というのはどこにあるのだろうか。
8時半起床。9時マシン起動。
25時まで作業。27時まで日報作成。
日報作成後に不具合発覚、28時半まで作業。風呂、食事、29時半就寝。
これだけ時間を使って仕事をしてもうまく回っていないのは能率が悪すぎだ。
最近指摘されたのは、疑問点を尋ねないまま直前まで過ごしてしまい、その結果品質が劣化しているという点だ。
まず、疑問点が出せるところまで作業が進んでいないところ自体が社会人失格だ。われながら言い訳がましいけれど、今まで通りに作業しているつもりが時間が盗まれたような感覚を覚えるほど、あまりにも仕事が進められないので、今週は本気で精神科に掛かろうかと思った。
でも、精神科が空いている時間に外に出られそうもなかった。最近好不調の波が大き過ぎるとは思う。
今日は何とか形には出来たけれど、このところの遅れのせいで明日からまた火の車。週末のどちらかくらいは休めるだろうか。
能率を上げないとこのまま一生休めない。気合で乗り切れるとも思えないし、まずは外圧を用意するところから始めようか。もっと追い込まれれば、嫌でもやらざるを得なくなるのだから。
例によって毎日5時を過ぎて寝ているものだから、一日中本調子ではないような状態が続く。僕の周りで労働基準法が守られている現場なんて見たことがない。法律は結局既得権益を守るためのもので、個人の尊厳や権利、そして自由等は守ってくれないのだ。
このところ在宅で仕事をしているのだが、午前9時~午前4時くらいまで週7日働いて、夜明け前に入浴したりコンビニに行ったりして命をつないでいる。誰とも連絡が取れないので、櫛の歯が抜けるように、毎日少しずつ友人がいなくなっていく。
最近業務の成果は過去に例を見ないほどバグだらけでどうしようもない。幾ら働いても時間を消費するだけで、今週は全く建設的な結果が得られていない。そろそろ使えない人間の烙印を押され、報酬か社員の身分のどちらかを剥奪されるのだろう。
そのうち、会社、元友人、そして他の誰の記憶からもいなくなって、その時僕には何が残っているんだろうか。大槻ケンヂが空気男と言ったのは、こんな人間のことだろうか。まあ、どうでもいいけれど。
50日間の出張は終わった。
最近いいことは一つもないし、帰って来ても何かいいことがあるわけでもないけれど、久しぶりの自宅。
詰まってしまっている配管に塩素を流し、家出少女が撒き散らして行った絨毯のタバコの灰を掃除して、宛先が間違って届けられた郵便物に悪態をつき、過ぎた日付の同窓会の誘いの葉書を捨て、ベランダで枯れている観葉植物に謝り、何も変わらない日常に戻ろうとする。
疲れた。眠るヒマなんかないのに寝てしまう。そんなに寝たいなら一生眠ってしまえばいいのに。
この職場には村上春樹かぶれがいる。
“ 労働しつづけるんだよ。
なぜ労働するかなんて考えちゃイケナイ。 ”
信念を持って労働できるというのは、善きにつけ悪しきにつけ尊敬できることだ。
隣の席でいつもこう唱え続けている先輩は、そろそろ倒れてしまいそうだ。
去年の今頃は月 20 日は会社に泊まりこんで仕事をしていた。何としてでも月内に支払をしてもらうために、本当に死ぬ気で働いた。しかし、会社が潰れる直前だったので結局その給料は支払われることはなかったのだけれど。
それに比べれば今は楽なものだ。忙しいとはいえ、丸一日の休日はなくてもほぼ毎日部屋で寝ることは出来る。それを削れば、月内にもっと仕事をこなすことは出来るはずだ。少なくとも去年の自分はそうしていたと思う。
一生懸命働いても働いても仕事に追われ続けるのは、甘んじて受けるしかない。毎月給料が出ている以上、赤字で腹を痛めているのは僕らではなく経営者なのだから。来月から全社一斉減俸になるのは売上が立たないからであり、それは現場が報いを受ける部分だ。
小言を言われるのすら嫌なら、死ぬほど働けばいい。誰にも文句を言われなくなるまで死ぬほど働いて、本当に死んでしまえばいい。死人に口なしとはよく言うが、死んでしまえば何を言われてももう知ったことか。働け、働け。
今日事務所に戻ると、数箇所に大きな文字で張り紙がされていて、「率先して行動」「指示前に行動」「整理整頓」と書かれていた。整理整頓は当たり前だけれど、他の二つはどうなのだろうか。
今の社内では僕は上司の忠実な駒になることが求められているわけで、僕のような現場の最底辺の駒が率先して指示前に行動してしまうと、却って上司は困ってしまうのではないだろうか。まあ、明文化されていないだけで、言外に何を意図しているかはわかる。現状をもう一線踏み越えて、上司が今何を求めているかを敏感に察知して、指示される前に成果を出してそれを報告することが必要だと言われているのだ。
功徳小屋より。
どう考えても身体を傷めつけなければ渡って行けないこの業界で、次なる犠牲者が出たのかと心を痛めていたところ、それほどでもなかったようでなぜかこちらも一安心。シャレじゃ済まなくなるケースばかり見ていると、何事もなかったというだけで人の幸せを見つけた気分になってしまうけれど、これは絶対に何かに騙されているに違いない。
本来四月中に済ませておくはずだった仕事がやっと今日マスターアップ。すなわち、もちろんゴールデンウィークと呼ばれる期間も毎日昼に夜を継いで仕事を進めていたわけで。
今週も途中で体調を崩したのを金~日の二徹で取り返し、検品担当にまで日曜夜から手伝ってもらって明日の納品に間に合わせた。明日の午前中にドキュメントを完成させればこの案件は一応一段落。
しかし、今日の時点で既に別の案件に火がついてしまっているので、水曜まではまた大騒ぎだ。休出したら代休が取れたりする会社もあるのかも知れないけど、僕はそんなに人材豊富な大手に勤めた事がない。ただでさえ僕は身体が弱くてよく病院に行ったりしているので、これ以上休みなど申請するのが申し訳ない。
とりあえず、今日だけは普通に寝てもいいですか?
最近布団で寝ることがまずなくなってきていたので今日は布団で寝よう。
パソコンの前の椅子で居眠りして、フローリングに転げ落ちたら仕事に戻る、というのが去年の11月頃からずっと続いている。完徹がデフォルトになるスケジューリングはそろそろ辞めたいんだけれど、もしかしたら一生こうなのかも知れないので、そろそろ諦めるべきかも知れない。収穫としては、人間寝なくても結構肉体的には平気なんだと言うことが判った。記憶障害とか言語障害は色々あってそれなりに大変だけど。
前から言っているけれど、こんなペースで持久走を続けるのは僕には無理だ。早くゴールが来るか、ドクターストップをかけてもらえるか、嵐で競技が中止になるか、なんとかならないものか。
必要とされているうちが華。歯を食いしばって生き延びろ。
僕の知らないところで話が進んでいたらしく、昨日いきなり名古屋行きを命じられた。昇級ではあるのだけれど、事前の打診がなかったので驚いた。突然この時期に異動とは。
入社時に転勤ありという条件がなかったもので、突然「君を名古屋でもらうという話になった」と辞令が出てもすぐに異動するのは難しい。既に部屋も用意されているようなので、その契約の時点で連絡があればもう少し準備もできたのに。
長期出張の名を借りているが、これは事実上の転勤だろう。今住んでいる所は結構気に入っているけれど、なし崩しに名古屋の人になるのだろうか。防音室の存在を前提でそろえた音楽関係の機材はどうしようかと思う。先週修理に出した機材の引取りにも行けなくなりそうだし、事前の告知がないと色々と困ってしまう。
まあしかし、企業は営利追求団体であるわけだからして職場ではプライベートの事情は関係ないし、上司には部下の異動を命じる権限がある。キャリア志向のサラリーマンなんて一生こんなものだろう。これが嫌なら、自分が人を使う立場になればいいだけの話だ。
今日もスケジューリングがうまく行かず、今週二度目の二徹だ。
例によってうさこ社長も忙しいようだ。
うさこ社長はどれほど忙しくてもほとんど徹夜はしていないようだけれど、それはやっぱり本人が自負しているようにディレクション能力に長けているんだろうと思う。日記で見てわかる分だけでも僕よりも全然仕事量が多いのによくもまあ回るなと。
それに引き換え僕はその辺りがからきし駄目だ。いつもナイフエッジ状態でスケジュールを組んでいるから、今週みたいに先週の納品物が原因不明のバグだらけだったりすると途端に徹夜だらけになる。二徹目からは成果物のクオリティが一気に下がるのであと5時間で締め切りの物件はおそらく大惨事で、来週もまた大変なんだろう。連休でもあれば締め切りの線引きをごまかせるのだけれど、今回は初めから深夜も土日も線が引かれているからあまり意味はないんだろうな。
複数のタスクを一人で同時に回すのは社会人なら当たり前だろうけれど、それぞれの顧客に対して納期をずらせないスケジューリングというのはどうなんだろう。
ちなみに、僕のスケジュールはだいたいいつも下記のような形になっている。
全部納品先が別なので、それぞれの顧客の目には全く普通のスケジュールに映るが、実際には 4 月中に営業日 21 日に対して約 50 人日の工数をこなす必要がある。うちの会社は一人一人が全員この状態である。この場合、8 時間/日 勤務を基準として計算すると 400 時間。土日祝も休まず 30 日フルに使って 1 日あたり 13 時間 20 分。実はこの程度ならどうってことはないのだけれど、これに「大至急」の修正作業が重なってくると労働時間はあっという間に 20 時間/日 を超える。
初めからスケジュールを緩めにとっておけば良いではないかと言われるかも知れないが、およそ元請から丸投げされてくる段階で、要求仕様が未定で作成中にどこまでも膨らむにもかかわらず、なぜか予算の限度と納期だけは既に決まっていることが多い。それに輪をかけて、僕には既に担当している別物件があるので納期を長く取りたいという訴えや、プロジェクトへの人員追加の稟議は元請の都合により却下されることが多い。
こういった問題は外注をやっている以上どのクライアントにも共通に存在し、ある意味諦めるしかないことだと思っている。(参照: 真・コンピュータ用語辞典 「外注」の項、および「システム開発」の項)
うさこ社長や他の下請けベンチャーの SE は納期問題をどうやって解決しているのだろう。もしかして、僕の周りのこの常識は世界の非常識なのだろうか。
3月・4月は全国的に異動だらけだ。僕の周りでも、高校時代から卒業して現在に至るまでずっとお世話になっていた恩師が母校を離れたので、先日、10 世代に亘る OB が集合して送別会を行ったりした。
友人であるところのハナイ氏も 3 月末で職場を離れられたという。全然知らなかった。最近不幸があったこともあり、僕よりも更にミッションクリティカルな現場を渡り歩いて来ていたハナイ氏の緊張の糸はいつまで持つのだろうかとかねてから心配していたのだが、どうも糸が切れたような種類の退職ではないようだ。これまでやってた事にも外部から関わり続けることになる
ということだから、ちょうど僕と同じようなものだろうか。僕の場合は、去年会社が潰れた後に個人として外注を請け負い、新しい会社に入ってからもその仕事を引き続き行っているので、仕事の内容自体は 4 年目もほとんど変わっていない。
今の会社の人には失礼だとは思うが、僕は今の業務のみに埋もれて一生を終えるつもりはない。学生時代から変わらず、あくまで起業のための資金と人脈の準備期間と捉えている。このままの仕事を続ければ早晩死んでしまうだろうし、急がなくてはならない。まずは、今夜中に 3 月末が締め切りだった仕事を全部終わらせることから始めようか。
相変わらず昼に夜を継ぎ、次の夜に昼を継いで仕事を進める。仕事が普段より特に多いわけでもなく、一時期と比べれば寧ろ負荷は減っているはずだけれど、とにかく能率が悪い。
最近は 30 時間ほど作業した後に 2 ~ 4 時間睡眠を取ることが多い。眠いタイミングが昼間に入ると、ほとんど何も作業が進まない。寝ているわけにもいかないのでパソコンの前に座っているが、かろうじて電話の応対のための作業が出来ている程度だ。周期のない生活は、社会人としていかがなものか。
能率が上がらないのは睡眠不足のせいだけではないと思う。さっきまでかなり時間をかけて友人に話を聞いてもらったおかげでだいぶ今の自分を客観視できたように思うが、どうしてこうも理屈では割り切れないことばかりなのだろう。そして今のところ、僕が悩んで悩んで出した結論は、結局僕を幸せにしていないし僕の為にはなっていないのだ。僕に足りないのは決断力と勇気、そして強い意志だと思う。重大な分岐点でそれを使わず流されてきた以上、次の分岐を待つしかない。それまでは、本来のコースに戻る方法を考えるか、このまま流されるかを考えていればいい。
あるいは、変に考えることをやめて、もっと仕事に溺れてしまえばいいんだろう。預金の残高が増えていくだけでも、今はそれなりに幸せだし。
無茶苦茶に忙しくなってきた。
土曜から寝ずに作っていた物件が間に合わず、月曜の客先レビューでは未完成のものを見せる羽目になった。移動中の日比谷線の神谷町駅で倒れていたせいで、あろうことか僕はそのレビューにすら遅刻してしまい各方面から大目玉だった。
今週もどうしようもなくやることが多い。今日中に完成させなければいけないものが数点。見積とスケジュール提示が数件。デバッグ数件。これが全部未着手だと思うと頭が痛くなる。何で全部今年度中なんだろう?
何と言うか、今日はやること全てが裏目に出る。
例によって自宅で朝まで作業して今日納期の仕事を終わらせた。なのに納品物を焼いたメディアを忘れてレビューに遅刻した。自宅に取りに帰って持って来たRWはなぜか読めず、結局再度取りに帰って USB メモリで持参し、現地でメディアを作成するはめになった。さらに、その USB メモリにも入れ忘れたデータがあり、早く帰宅してデータを送らねばならなかったのに送付が時間に間に合わず、慌てて送ったデータは中身が誤っていた。結局それはデータ支給元の入力ミスだとわかったのだが、今日の仕事が進まなかったことには変わりはない。
こんなことを続けていると早晩仕事を干されてしまうだろう。
仕事が終わらない。全然終わる気配もない。
土曜のタスク。金曜の打ち合わせで赤が入った提案書の修正に DB の概要設計書を追加して提出。同じ宛先の別案件の提案書、同設計書。今週全く進まなかった来週末納期の改修物件の着手。
そしてさらにこんな時間に見積 3 件作ってるし。最近見積出したのは、細かい案件まで数えるといくつになるんだろう。10 件超えるんだろうか。年度末進行でどんどん発注がかかるし。再来週にはまた新案件でその週末納期だし。
会社はこれで何とかぎりぎり回っている。僕のノルマを給料の 3 倍としたら、この受注ペースでぎりぎりだ。これは単に人月単価が安すぎるという話なのか。中小であるというだけで買い叩かれるのだから、そろそろ人月ベースの仕事は不公平だということに気が付いてほしい。
しかしまあ、定時に帰ってまともな給料をもらっている人たちの会社というのは、一体どんな経理で回っているんだろう。何かマジックがあるような気がしてならない。
「喪失」で少し触れた失った人物について、色々と考えた結果、一つの結論に至った。
初めて彼に会ったのは 7 年前の夏のことだった。
その前の年に会社を立ち上げたと聞いた頃からメールのやり取りはしていたものの、実際に会ってみると彼は思っていたよりもずっと大人だった。少なくとも僕にはそう見えて、およそ彼には隙がなかった。彼は今の僕と同じ歳で社長になったわけだが、会社を立ち上げてから 1 年の間に周囲に揉まれて、嫌でもそうならざるを得なかったのだと思う。
当時学生だった僕は、将来の職として考えていた業界の先達である彼に、折に触れ技術的な相談を持ちかけるようになった。多忙だからか返信は遅かったものの、現場からの確かな内容の返信をもらうことを重ね、僕は彼を信頼するようになった。
2000 年の 7 月、彼の会社の東京事務所が立ち上げられる計画が持ち上がった。10代の頃からの知人(前の会社の東京事務所長、かつ今の会社の立ち上げ時に同時に参加したシステム営業担当者)もその立ち上げに誘われていた。その人も当時別の業界でかなり有能な営業担当者として全国を飛び回っていたが、スピンアウトして新事業立ち上げを行うという。当時院試との掛け持ちで全く進んでいなかった就職活動の中、8 月 20 日、ひとまず僕はその新営業所立ち上げの内定を得た。
結局 50 社あまりを受けたけれども、他の会社に内定をもらうことは出来なかった。学校推薦に頼らず一般応募ばかりを受け続けたことが敗因だったのかもしれない。ただ、想定年俸プランを見る限りでは、他の会社に行くよりもずっと将来の可能性があるように思えたので、開拓心に燃えていた。
その後上京し、2001 年 4 月入社。自分の机を組み立てる所から始まる仕事。いきなり名古屋で 2 ヶ月間研修になるという想定外の出来事はあったけれど、会社のことを無計画だとは思わず、仕事はそういうものだろうと思っていた。概要だけ示されたパンフレットを元に仕様を想像して物を作る作業にも慣れ、いつからか土日も休めなくなり、会社に泊まりこむ日々が始まった。それでも売上が次期の給料に跳ね返ってくる事を頼りに、必死で頑張った。
当初 3 ヶ月で給料が見直されるということだったが、結局給料が見直されたのは 13 ヶ月目のことだった。それは当初のモデルプランの昇給とは全く異なるものだった。僕の売上が見込みより少なかったのかもしれない。この頃から、社の運営は厳しくなっているように見えた。なぜか借金の額が増大し、僕が昇給した分、他の社員の給料は下がっていた。仕事はますます忙しくなり、開発担当は毎月人月の 3 ~ 4 倍の売上を上げるようになった。売りが立たない月でも、修正などで同じ程度の工数を稼いでいた。しかし、幾ら努力しても会社の運営はますます傾いているように感じられた。それについては、彼から直々に海外企業に対する M & A を行うための投資や、海外企業の製品の買収・ローカライズ権取得費用によるものであると言う説明がなされた。彼は当時、毎週のように海外に出張に行っていたことからその説明は納得できるものだった。
しかし結局その海外の相手先企業は破綻した。時を同じくして給料の遅配や無配が続くようになった。いつしか取引銀行から手形帳を取り上げられ、総務は社員の給料を払うために商工ローンや果ては消費者金融までを駈けずり回っていたという。そして総務部長が突然失踪し、昨年 9 月に 2 年半勤めたその会社が破綻する直前には、借金取りが東京事務所に押しかけることを防ぐため、電話には出ず、夕方からは灯火管制のように暗闇で仕事をするようなことを経験した。しかし、それでも僕はそれは経営努力の結果、単に不運であったがために起こった結果だと信じていた。
会社が破綻した後、僕はその会社の本社のコアメンバーが業務引継ぎのために立ち上げた新たな会社と契約して東京で仕事を続けることになった。人数が激減したにも関わらず、旧会社の全ての業務を引き継いでいたため仕事は多忙を極め、本当に死んでしまうのではないかと自分で心配するようになった。命がなくては仕事は出来ないので、顧客に何とか譲歩してもらえないかと依頼する。その中で、僕は次第に彼の本当の姿を知ることとなる。
彼は全社員の給与総額に匹敵する額をほぼ毎月私用に使っていた。彼はアジアに海外出張に行っていたのではなく、その日程で愛人とヨーロッパに旅行に行ったりしていた。社員が稼いだ売上をどのように使うのかは社長の自由かもしれない。しかし、会社で借金をしてまで私用に費やしている社長を知らず、文字通り命を賭けて働いていた我々のこの数年間は何だったのか。社員を騙し、役員を騙し、監査法人を騙し、協力会社や取引先を騙し、そこまでして彼がしたかったことがどうしても理解出来なかった。初めから裏切られていたことを知ったとき、とてつもなく大切なものを失ったと感じた。
そして、しばらく考えてやっと気が付いた。文字通り、僕が信じていた彼と言う人間は初めからいなかったのだ。僕が感じたどうしようもない喪失感は、彼との決別に対してでなく、その虚像を見て過ごした時間に対するものだったのだろう。自分が人を信用するということがここまで根拠のないものだと判っただけでも収穫だった。
失った人間関係とそれに引きずられた時間を思い悩むよりは、これから先のより真っ当な人生について考えるべきだ。僕にはまだ少し、その時間はある。