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中二病である。

星里もちるのいうところの「いいかげんだけど責任感が強い」と評価される事に憧れて育ったけれど、いつの頃か成果よりも形式を重んじる企業はそう言う人間を必要としていないことに気付いた。

自分が約束の時刻が守れないのは昔から嫌いだ。さすがに仕事に穴は開けないが、遊びや飲みの約束はしばしば反古にする。努力の形として徹夜して翌朝に備えても、そういう時に限り数分遅れてしまったりする。呆れる他ない。

自己嫌悪しても仕方ないが、少なくとも鉄道会社のような定時性が優先される仕事には全く向いていないと思う。体調を崩す事も多いし。だから時間を切り売りするのではなく成果主義を謳う会社を選んだはずなのだけれど、3年前の自分は多分眼が悪かったのだろう。そんな事は本質じゃなかった。

よく考えたら、大企業の主目的は株主に配当することだ。一般顧客から利益を計上する本業の部分は手段にしか過ぎない。そして寡占市場で絶対的優位を押さえているのなら、手段にコストはかけず、問題さえ起こさねばよい。手順が正しければよい。

揚げ足を取らせたら負けなのだ。愚直に言うなら、ある期間で回すべき歯車をさっさと大量に回してたまに手を抜くようなむらがあるタイプではなく、周りが回すのに合わせて手を沿えている方が望ましい。成果主義とは何かを成し遂げた者に報いる制度ではなく、出る杭や落ちこぼれをデモートし振るい落とす制度である。

そういえば、今も昔も政治家や投資家が学び振りかざすのは帝王学でありレバレッジの経済学であり、支配階級の論理。経営者はその従順なる僕、労働者はさらなる僕。現場は目の前のお客様に良いサービスをと考えても、僕である以上は上の方針が優先してしまう。

営利企業に勤める意味とは何なのだろう。判っている。自分に何が出来るのかを考えている時点で負けなのだ。自分はどれだけの数の誰を使役することで何をさせられるかを考えるべきだったんだ。

少し疲れた。