プロパガンダと現代の奴隷フレームワーク

NHKスペシャルで中国の都市部と農村部で格差が世代を超えて再生産され続けているとのルポルタージュがあった。

ある中国共産党幹部の息子は何不自由なく育ち、一流大学を出て20代半ばで会社を興し、親のコネで仕事を回してもらい会社は成長し、30歳を前にして不動産バブルに沸く天津で何億円もするマンションを買っては転がし年に5億円のアブク銭を手にする。彼の大学の同窓生の間ではこの生活は珍しくもない。

方や内モンゴルの平均的な農民は氷点下20度の冬に7歳の息子の靴の底が抜けても、150円で新しい靴を買ってはあげられない。農村には現金収入がなく多くは農地を捨て、子供を学校に預けて都市に出稼ぎに出て日雇いで死ぬ程働くが、それでも年収は10万円程度。残された子供達は、親にこれ以上苦労をかけないために運命を変えるには大学に行き知識や技術を得るしかない、と文字通り血の涙を流して勉強する。しかし、高校に通わせる時点で学費は出稼ぎ農民の年収の半分を超える。出稼ぎも競争率が高くなり続け、仕事がない日も多い。

こういった何一つ救われない番組だったが、先日経済面の隅に落ちていた経団連の発言が、これと絡んでいる気がしてならない。

いわく「企業の研修生制度で日本に来た外国人は、継続雇用を条件に8年まで在留可能とすべき」。経団連配下の企業の所謂外国人研修生がどのようなものかは公然の秘密であり、そこに求められる人材が先の出稼ぎ農民とかぶる。工場のラインの苛酷な環境で働いている期間工には、日本人を雇うなら周辺の水準より高い給与を払わねばならない。しかし研修名目で連れて来た外国人ならどれだけ買い叩いても文句は言われない。連れて来られた海外の貧困層にとっては、明日の仕事の有無を心配せずともよく、日本の水準よりは安くとも故郷では考えられない程の安定収入を仕送り出来る魅力がある。何より彼らには異国の地に逃げ場もなければ、そもそも一所懸命で逃げる気もない。

仕事をより好む自由があると勘違いしている日本人は既に淘汰され始めている。しかし、使い捨ての都合のよい労働力と扱われるのには替わりはない。都合のよい労働力と言えば、最近ますます派遣社員や契約社員の買い叩かれが激しくなっている気がする。20~30代の女性で非正規雇用の方に、フルタイムで朝から働いているのに、居酒屋やバーやスナックや、果ては風俗で夜から深夜、あるいは休日に働いている人が身の回りにあまりにも多い。いわゆる優良企業だったり子供に夢を与える企業だったりするのに、働いている本人は無駄遣いもしていないのに、一つの仕事では暮らせない。

競争原理を持ち出して自助努力の不足と言うのは簡単だけれど、そもそも全体の平均生活水準を下げ過ぎではないだろうか。圧倒的多数の貧困層が、好む好まざるに関わらず極限の効率で働く。生きてるうちに働けるだけマシと、外国人に追い立てられる危機感の醸成。見方によっては先の報道は両方プロパガンダだ。なし崩しに企業の正社員や公務員の給料も下がり続ける。痛みに耐えて国際競争力を確保するという錦の御旗のもとに。でもどこを正面に据えた何の競争かは言わない。

これはうまく出来た奴隷制度ですね。もはや詰め将棋のように。でも、僕自身、社会の心配をしている場合ではない。せめて自分とその周りだけでも上を向き続けなければ溺れてしまう。必死に、もっと上へ。